2013年11月30日土曜日

日本の交流電源の周波数

以下、文献からの引用(一部、文章を修正)
1882年(明治15年)に東京電燈株式会社が設立され、石炭火力による25kWのエジソン発電機を用いて銀座2丁目のアーク灯が灯された。 この時点では、直流を送電していた。その後、東京の各所に210ボルト3線式の直流発電所が設定された。

1884年(明治17年)に大阪電燈会社が設立されて、アメリカのトムソン・ハウストン社(のちにエジソン社と合同してゼネラル・エレクトリック社となる)の60Hz1150Vの発電機を採用(明治23年)した。米国では、エジソンとトムソン・ヒューストンとの間で、直流ー交流論争が起こっており、大阪では交流を採用した。

東京でも1895年(明治28年)火力発電所の建設にあたって交流システムの採用を決定し、「ドイツのアルゲマイネ社(AEG)」の50Hz3000V 265kWの発電機を採用した。

   (引用文献:桂井誠著、基礎エネルギー工学、数理工学社,pp49-50)

その後統一されることなく、現在に至る。

以下、Wikipedia からの引用
60Hzと50Hzの境目は、糸魚川と静岡の構造線に沿う。(Wikipedia: 糸魚川静岡構造線)
ただし、以下の地域では供給約款の本則とは異なる標準周波数を定める。

ーーーー(引用終わり)

新潟県は、基本50Hzなんで関東の文化圏だっていうことが分かる。
佐渡市と糸魚川市で60Hzを使っていることから、また、これらの地域は、富山の影響が強い(結びつきが強い)地域だってことも分かる。 電気の周波数から文化のつながりが分かるなんて面白いよね。

北海道や九州の一部では、戦後しばらくは50Hz,60Hzが混在していたらしい。
これらの混在エリアについて文化的なつながりを調べると、これまた面白そう。




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